わが耳を疑った。
4月21日、安倍晋三首相の声が民放のニュースから流れてきた時のことである。「96代目だから96条を改正する」。そう聞こえた。椅子からずり落ちそうになった。翌日の新聞で確認してみた。
参院補欠選挙のため山口市に応援に入った安倍首相は、次のように演説した。「私は第96代内閣総理大臣だが、憲法96条を変えたい。…佐藤栄作首相も岸信介首相も挑んだけどできなかった。私たちが新しい時代を切り開きたい」(『朝日新聞』2013年4月22日付総合面による)。これが96条改正の理由なのか。
そこで思い出したのだが、安倍氏が、2007年9月の政権投げ出しの後、一議員として活動しながら、親子のための国会ツアーを実施していた頃の話だ。それに参加した方から直接うかがったのだが、安倍氏は国会内を一通り案内した後、一人の小学生から、「何で政治家になったのですか」という質問を受け、こう答えたという。「私のお父さんも政治家でした。私のおじいさんも政治家だったからです」と。参加した方は、あまりに率直で、あまりにシンプルな答えに驚いたという。
今度はわが目を疑った。
5月5日、東京ドームで、巨人や米大リーグで活躍した松井秀喜選手の引退セレモニーが行われた。800人の報道陣が詰めかけた。主催は、渡邊恒雄読売グループ会長率いるオール巨人である。終了後、「国民栄誉賞」の授与式がこれに接続して行われた。読売グループの日本テレビが中継するなか、安倍首相自身が、松井選手と長嶋茂雄元巨人監督に、表彰状と記念品(金のバット)を手渡したのである。これだけでも目を疑う光景だが、さらに仰天の場面は続く。
冒頭の写真は、『毎日新聞』や『東京新聞』などの5月6日付である。松井選手と長嶋元監督が参加した巨人・広島戦の始球式。場内アナウンスは、「審判、総理大臣安倍晋三、背番号96」とやった。首相は、戦車兵の制服に続いて、「読売巨人軍」のユニホームを着用して登場した。審判・球審が特定チームのユニホームを着て、しかも背番号?! 安倍首相は、自分たち攻めのチームの点が入らないからといって有利にルールを変えようとし、さらには中立なはずの審判まで…。「KM首相」らしい設定と演出ではあるが、そこまでやったら支持者さえ引いてしまうのでは、と心配になるほどの調子と勢いだった。
終了後の記者会見で、「(背番号96は)憲法改正に関係あるのか」と聞かれると、首相は、「ふふふ。私が96代だから『96』なんです」と答えたそうである(『東京新聞』5月6日付)。巨人で最近まで背番号96をつけていた林イー豪投手(台湾出身)が気の毒である。
この首相官邸・読売グループ合作の茶番劇を報ずる5月6日付各紙は、悲しいほど大甘だった。「憲法改正ちゃっかり“アピール”」という『スポニチ』は仕方ないとしても、『朝日』の記事がひどかった(『毎日』『東京』は二段囲みで多少の批判あり)。 冒頭の新聞各紙の写真もさまざまなアングルから安倍首相を捉えているが、唯一後ろ姿に背番号96という写真の近くに「『政治利用』の声」という見出しをつけて、『東京』は長嶋・松井のビックイベントのなかで、批判的姿勢を何とか維持した。
「国民栄誉賞」は国民の税金を使った公的な性格のものであり、首相官邸以外の場所で授与されたことはない。もともと、時の首相の趣味や意向が比較的強く作用する賞だったとはいえ、今回、政権に都合のいい人物を、都合のいい場所で、都合のよい振り付けを加えて授与する賞という先例を作ってしまった。私には、この賞を2回にわたって固辞した「イチロー」がますます輝いてみえる。
さて、今年の憲法記念日は、3つの都市(札幌、岡山、水戸)で講演を行った。この27年間、毎年5月3日は全国各地で講演を続けてきたが(後掲・注参照)、率直に言って会場には、連休中の「年中行事」に義理や動員で参加したという雰囲気の人たちもいないではなかった。空席が目立つ年もあった。だが、今年は違う。どこでも開会前から席が埋まり、立ち見も出た。何より参加者の目の色が違った。ここまで聴衆の真剣さと緊張感のシャワーを浴びながら話したことはかつてなかった。改憲に向けた権力者の言説の異様さと危なさが、少しずつ理解され始めていると感じた。
本来、まともな知性の持ち主ならば、「とりあえず96条!」「まず96条から」という物言いには、なにがしかの後ろめたさを伴うものである。それを堂々と、胸をはって、大きな声で語ってしまうところに、いまの政治家たちの劣化を見る。改憲論者の小林節氏(慶応大学教授)が、「96条改正は『裏口入学』。憲法の破壊だ」と厳しく批判する所以である(『朝日』5月4日付)。
憲法に対する想いや思い入れは、安倍氏なりにあるのだろうが、この人の場合、その思い入れが思い込みとなり、さらに思い違いに進化して、いま、国民を巻き込む壮大なる勘違い(「まず96条から」)に発展している。過度の個人的な思い入れをパワーにして憲法の重要な改正手続に手をかける権力者が登場してきたわけである。裏口入学を堂々と叫ぶ人々が多数になれば、正式入学にされてしまう。何度も言うが、立憲主義にとって真正の危機である。
中曾根康弘元首相が、『産経新聞』5月4日付5面のインタビューのなかで、「若い政治家諸君に期待している。変化に対応する感応力、即応力をかなり鋭敏に持っているからだ。問題は、歴史に対する見識をどれだけ持っているかだ」と、改憲の草分けとして苦言を呈している。そして、憲法96条改正を国民が受け入れるには「かなりの配慮、推進力を要する」と述べて、「政治的マヌーバー(作戦)としては安倍首相はうまくやっている。ただ、自らの政治理想や、国際社会の中の日本のあるべき姿を押し出していく力を必ずしも十分には発揮していない。憲法改正を実現するためにも、『守りの政治家』から『攻めの政治家』へ転じるべき時期を迎えている」と注文をつけている。
私は「マヌーバー」(maneuver)という言葉を見て驚いた。70年代に大学生活を送った人にとって、この怪しげな外来語のことは、見たり、聞いたりしたことがあるのではないか。当時は「策略」あるいは「謀略」というネガティヴな意味で用いられていたように記憶している。中曾根氏が96条改正への動きを「政治的マヌーバー」と評価しているのは、本人の意図とは別に、実に的確である。96条改正こそ、「壊憲策略」にほかならないからである。
旅先で5月3日付の新聞各紙を読み比べてみると、全国紙では『読売新聞』『産経新聞』が96条改正賛成、『朝日新聞』『毎日新聞』が明確に反対の社説を出した。ブロック紙と地方紙(岡山では『山陽新聞』)のほとんどが、「まず96条から」の動きに批判的だった。
そのなかで、『産経』4日付は、相変わらず、「日本国憲法は『世界最古』」という見出しを一面に打った。世界188カ国の憲法のなかで、一度も改正されていないのは日本国憲法だけとして、各国の憲法が何回改正されたかという具体的数字を挙げている。EUとの関係で憲法改正を必要としたヨーロッパ諸国など、各国にはそれぞれの事情がある。それを無視して改正回数だけを比較をして、改憲の理由にしてしまう学者のことを、私は「憲法デマゴーグ」と呼ぶ。
「ようやく日本人自らの手で憲法を改正できる状況がみえてきた」(『産経』5月3日付主張)。この言説には、「押し付け憲法」論の立場がよく出ているが、安倍首相も「憲法を国民に取り戻す」ということによって、同様のスタンスに立っている。
ここで、なぜ「まず96条から」なのかに関する、もう一つの理由づけについて述べておきたい。それは「国民主権」、「国民の判断に委ねよ」、「国民投票の機会が増える」等々である。この主張は、橋下徹大阪市長がツイッターの連射で吠え続けるとともに、『毎日』5月3日付特集面で少し長めに語っている。そこで橋下氏は、「現行憲法には主権者である国民が国家権力を縛るという立憲主義が込められている。…国民に特定の価値観を強要する憲法改正を目指すような議論はすごく怖いことだ」と適切に指摘して、石原慎太郎氏らの「押し付け憲法」論や、『産経』の「国民の憲法」(同紙4月26日付)の言説とは一線を画する。だが、橋下氏の場合、「憲法改正権は国民主権そのものだ」という主張から、憲法について「国民の判断に委ねるのが筋だ」として、結論的に96条改正に賛成していく。「護憲派は『移ろいやすい国民世論にゆだねるのは危険だ』『一時の国民感情で憲法を変えていいのか』というが、それは日本国憲法という極限まで国民を信じる憲法の価値観にそぐわない」ともいう。
橋下氏は「私はガチガチの立憲主義論を前提としている」というが、そう表現するほどには立憲主義を十分に理解していない節がある。そのことは氏が「国民に特定の価値観を強要する憲法改正には簡単に賛成できない」というところにあらわれている。「簡単に」でなく、立憲主義憲法では「絶対に」思想・内心の自由は侵されないはずである。そもそも「個人の尊厳を明記する憲法13条が一番重要だと習うが、13条をも変えうる力をもつ96条の方がより重要だ」という点も理解が怪しい。多数者・国家に対しても尊重される「個人」の尊厳(13条)を変えてしまえば(公益・公の秩序を強調してしまえば)、立憲主義は骨抜きにされてしまう。
しかしそのような橋下氏言説以外でも、改憲発議を3分の2から過半数にする理由として、「国民主権」や「国民への信頼」を挙げる主張に加えて、国民投票の意義が高まるという言説もある。5月2日夜のNHKニュースでは、憲法改正に関するNHK 世論調査の分析について、私も録画で出演し、コメントした。その時、96条改正賛成の主張を展開した憲法研究者は、「国民投票の機会が増える」と語っていた。国民が最終的に決定する機会が残されているから、改憲の発議は過半数でもかまわない。国民主権と言いながら、国民は国政選挙しか機会が与えられていない。改憲発議を過半数にすれば、国民の発言の機会が増える。ファイナルアンサーの入口は広くしておく方がいい、というわけだ。
「押し付け憲法」論などとは異なり、国民主権や直接民主制を押し出すことで、96条改正を筋のよい議論に仕立てあげようとしている。だが、この議論には疑問がある。
日本国憲法は「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」(憲法前文)することを原則としながら、さまざまな場面で直接民主制の要素を制度化している(79条、95条、96条)。国民投票をもっと増加・強化せよという議論は、代表民主制(間接民主制)との適切なバランスのなかで考える必要がある。発議要件を3分の2から過半数に下げなくても、国民の発言の場を拡大することは可能である。発言の場を増やすためにハードルを下げよというのは本末転倒である。3分の2の高いハードルで発議されるからこそ、国民投票の一票の重さが生きてくるのである。発議ハードルを過半数に下げて、頻繁に憲法改正国民投票が行われれば、国民の関心は低下するだろう。
主権者である国民さえも、いったんできあがった憲法については、そう簡単には手をつけられないという制度設計が立憲主義である。権力者に対してだけでなく、多数決により圧倒的多数・メジャーという「権力」にもなりうる国民自身に対する自己拘束でもある。橋下氏などが盛んに「民意」をいうが、民意の暴走の記憶と記録は、憲法のなかに、「民意にもかかわらず」侵してはいけない、「民意にもかかわらず」乗り越えてはいけない人権の保障や権力分立の仕組みとしてセットされている。「国民を丸ごと信用してはいけないというのが96条の思想である」(樋口陽一インタビュー『毎日』5月3日付特集面)。
総議員の3分の2という高い発議ハードルは、国民投票の前に、国会における議論を踏まえた慎重な発議に対して、国民としての判断を加えることを意味する。「民意だから…」を強調する橋下氏に対しては、そもそも憲法は「民意にもかかわらず…」を制度化したものだと言わねばならない。それは決して、国民を低くみることでも、国民投票の意義を軽視することでもない。国会における発議に高いハードルが設けられているからこそ、憲法改正についての熟議が可能となるのである。
そもそも憲法の場合、これを変える側に高い説明責任が課せられている。変える側が、「なぜ変えるのか」の説明に失敗すれば、憲法はそのまま残る。だから、憲法に違反した法律を制定した政権が、違憲の主張を排除するため、その法律に合わせて憲法の方を変えようとしたらどうだろうか。「まず96条から」の真の理由は、そうした法的クーデターにあるのではないか。日本でもそろそろ、「授権法」(1933年3月24日)の制定過程を真剣に学ぶ必要があるように思う。
(2013年5月7日稿)
(注)この27年間の5月3日講演は下記の通り。複数あるのは、今回同様に、2日ないし4日に実施したもの。1986年釧路市、1987年札幌市、1988年(ドイツ滞在中)、1989年札幌市、1991年(ベルリン在外研究)、1992年広島市、1993年大分市、1994年東京都中野区(全国憲)、1995年山口市、1997年富山市、1998年甲府市、1999年(ボン在外研究)、2000年広島市、2001年徳島市(29日那覇市)、2002年岡山市、2003年和歌山市・札幌市、2004年東京都新宿区(全国憲)、2005年沼津市、2006年山形市・青森市・京都市、2007年札幌市・水戸市、2008年高知市、2009年福山市・岡山市、2010年静岡市・仙台市、2011年大牟田市、2012年高松市、2013年札幌市・岡山市・水戸市。なお、90年と96年は新大学着任の直後のため講演なし。